十九のナイトコラム

感じる思う考える 人を生きる

友人の選別

僕は高校2~3年から大学1年に掛けて、友人の選別を行っていた。知り合いや顔見知りの人を片っ端からフォローしていたSNSは一通り全部作り直し、本当に仲がいい、よく遊ぶ人だけをフォロー・フォロワーの関係になり、それ以外の人は外した。より孤独に近づいた。その排他的なモードのまま大学に突入したため大学では親しい友人は誰1人できずに終わった。

 

なぜこの友人の選別を行ったかは、今既にだいぶ記憶が薄れてきているが、重要な事だと思ったので残しておく。

 

インスタグラムで友人のキラキラした日常が流れてくることに嫌気が差したのだ。他人と自分を比較してしまい自己肯定感が下がり孤独・寂しさを強く感じてしまうからだと思う。実際に友人に寂しくなることはあるのか聞いていたりもした。

 

多分そんなような感覚。選別してから時間が経ったので当時の心情を鮮明に書くのが難しくなっている。当時書き残して置けばよかった。でもまた今同じことをしても同じ感情になると思う。

 

あと、自分が旅行とか何食ったとかを人に見せびらかすのになんの意味があるのかと思ったのを今思い出した。自慢か。お前のことに興味ねえよって感じ。マツコが月曜から夜ふかしで言っていた。人が旅行に行ってなにがいいねだ。と。その辺の影響もあって、承認欲求とか嫌われる勇気とかそっちの方向に意識が行き始めた。

 

書きながら思い出してきた。キラキラした自分を他人に見せびらかしている自分も嫌なんだろう。承認欲求はない方がいいらしいから。でも大半の人は何も考えず自分を上げ、自分を上げている友達のインスタにいいねをする。そこから外れた僕はいわゆるその普通じゃなくなった。大半から外れたのだ。普通の人と関われなくなってしまった。関わらないで生きてゆく覚悟がない。

 

そして今も僕のInstagramは何も投稿していない