十九のナイトコラム

感じる思う考える 人を生きる

親と子

僕は僕が書く記事のように

バカなことをバカな思考でバカ真面目にバカ丸出しで考える。

酒と女と人生を楽しんでるような健全で健康的な多数派の人種からすると、幼稚でクソほどつまらない、この世で最も価値の無い内容だろう。それを僕は真剣に疑問に思い、真剣に考え、真剣にググってしまう。

 

本題。

最近は人間の親と子供の関係。

子供を産むのは単なる親のエゴ。

子どもは勝手に産み堕とされ生かされる。

勝手産んどいて20歳を超えたら1人で生きろと自立を強いられる。

それは甘えだと多くは言うだろうがそんなの詭弁だと思う。19,999歳までは親元にあって良いのが20になるとダメになる。なんやねんその論理。1人で生きることが、できるできないの話ではない。

人はこのように繰り返される。正気だろうか。異常に思うのは僕だけだろうか。

生んでくれと頼んだ覚えはない。

 

そんな事を永遠に考える。暇なんだろう。

ここでまた、僕は思う。

僕は比較的、鬱の人に比べると、健康で、それほど深く悩むこともなく元気な方だと思う。

しかし、前述の内容を例にとると、もっと健康的な人は、その事柄に、疑念を抱くことさえなく、したがって、考えたりググったりすることさえないのである。それが本当に健康な人ではないのだろうか。

そう考えると、つまり、そのように感じ、疑問を抱き、考え、ググるという時点で僕は健康ではない。

これは何にでも言えることであり、生きる上で重要な考え方だと思うが、当たり前に疑問を抱くのは当たり前でない人だけだ。

健康について悩み考える人は健康でない人だ。

速く走ることを考えるのは速く走れない人だ。

手が動くことを考える人は手が動かない人だ。

生きることを考える人は上手に生きれない人だ。

親について考える人は親と問題がある人だ。

そう考えると僕は、親との関係は当たり前ではなく、健康ではないのかもしれない。。